京都新聞:2020年6月19日21時22分
性的虐待の内部告発、記録持ち出しで処分は違法 2審も京都市側が敗訴
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/285404
この記事の中にある。
京都市の藤田洋史人事部長は「市の主張が認められなかったことについて誠に遺憾。今後、上告する方向で考えているが、判決内容を分析し、早急に対応したい」
というコメントで現在炎上真っ最中ですね。
ここで問題になっているのが、定期的に問題視される、教育組織での犯罪隠蔽ですね。普通に考えれば、早く事実確認し、事実があればそれを認める方が長期的に見れば良いはず。にもかかわらずそれを隠蔽し、さらに問題を悪化させているのが現在の状態ですね。
このように冷静になれば明らかに最適な行動がわかるのに、なぜそれができないのか?それを元公教育に携わっていた身である立場からあらゆる面から見て解説していきます。
1.その現場にいる立場のある人間客観的に評価する能力が低く、事件を矮小化して伝わった。
これは私が教員をしていた時のことですが、職場で一人の年配の教員が体罰を起こした事件がありました。学年は違ったので聞いた話でしか語れませんが、
「これくらい誰でもやる。こんなことで体罰と言われていたら指導なんてできない」
という風に、自分の起こした不適切な行動や態度を「取るに足りないもの」だと自分で判断し、あろうことか、物事を自分の都合のいいように矮小化していました。
今回の事件でも隠蔽を内部告発しようとする男性に対して、「相手の意見なんて一つ一つ聞いていたらこの仕事なんてできない」など言葉を投げかけ、さも問題ではないかのように扱っていた可能性もあるだろうな、と思いました。もちろん単純に共感性の低い人間であった可能性もありますが、どんな場合であったにしろ客観的評価のできない人間であることに代わりはありませんが・・・。
2.被害者側の信用度に問題があり、事件を壮大化して伝えていた。
またこれは実際私が学校で教員をしていたことなのですが、教員に対して保護者からのこんなクレームがありました。
「私の息子があの○○先生に誹謗中傷を言われた!なぜこんなことを言われたのか理解できない!場合によっては訴えてやる!」
このクレームを受けて、すぐに事実確認が行われていた。すると事実は前後の文脈を省き、自分の都合のいい部分だけを取り上げ、それを子供が保護者に伝えていた。
というわけでした。これが一度ではなく日常的に行われていたので、次第にその保護者からのクレームがあっても、学校の教員は「またか・・・」と言ったとおり対処ができなくなっていきます。
要するに矮小化しているわけではなく、日頃から発言を信ずるに値しないような行動がある可能性もあったということです。
この記事を見た限りでは、被害を蒙った側の情報が書かれておらず、またその状況の詳細もわからないままです。
なので、事実はわかりませんが、あくまで可能性として一つあるのではないかということです。
ただ、今回話す内容は、あくまで私が公教育に携わっていた立場での意見で、一つの可能性としてあると言っているだけですので、必ずしもそう断言できるというわけではないので、その点をご了承ください。
今回の記事はここまでにします。
閲覧ありがとうございました。