元教師 黒目のブログ

元公立の教師で現在も子育ての世界で働いています。公教育、私教育合わせて約7年間仕事で子供を育てています。そんな中で役に立ちそうな知識や経験をアウトプットしていきたいと思います。

超実践編!福沢諭吉「学問の勧め」から学ぶ他害のある子供に対する指導方法について元教師が解説してみた

どうもみなさんこんにちは。
先日このような本を読みました。

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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この本を買ったのは私が公立学校の教師をしていた時なので、4年くらい前なのですが、改めて読みなおすと、当時のことが思い出しました。
その上で現在も私が子供を指導する際に使っているものがあるので、
今回はこの本を使った具体的な指導方法について解説していきたいと思います。

 

1.事例&指導方法
普段子供を指導する立場に立っているのですが、このようなことが多々起こります。

・小学生の事例「〇〇君が私を叩いた。だから私も〇〇君を叩く」
・中学生の事例「あいつが俺に悪口言ったから言い返しただけ、だから俺は悪くない!」

というように、自分に危害が加えられたから自分が相手に危害を加える行為は正当であるという間違った考えですね。
この表現に対して、親や学校の先生が良く言うのは、
「相手と同じことしたらあなたも同じですよ?」
というように、相手とあなたは同じという、敵意を向けている相手と同一のものであることを自覚するように指導することが多いでしょう。
ただ、それでも指導が入らない場合があります。その指導が入らない子はなぜ入らないかというと

「先に相手が手を出したから相手悪い!」

という考えが根付いています。
まぁ確かにそうなのですが、その考えが根付いているせいで、イマイチ理解できてないんですね。
そういう子供に対して私はこの福沢諭吉で書かれている事例を思い出します。これは学問のすすめ、現代語訳の80ページに書かれてある文章なのですが、

たとえば、ある国の法律に「十円を盗む者は、鞭打ち百回に処す。また足で人の顔を蹴るものも鞭打ち百回の刑に処す」とあるとする。ここで盗賊がいれ、人の家に侵入し、十円を盗って出ていこうとしたとき、主人に取り押さえられるとする。その際に、主人が怒りにまかせてすでに縛られている賊の顔を蹴る、ということもあるだろう。そのとき、その国の法律でこれを裁けば、盗賊は十円を盗んだ罪で鞭百回の刑を受け、主人もまた市民の身で勝手に盗賊の罪を裁き、その顔を蹴った罪で百回の鞭を受けることになるだろう。

この文章では「私刑はなぜ禁止なのか?」について書かれています。
要するに自分の正義で相手に危害を加えると、自分が守られている法律自体に違反しているということですね。
なので、子供が良く言う、先か後かはまったく問題ではなく、自分の高まっている感情で相手に危害を加える時点でそれは法律違反ということです。
その点を冷静に話し合い、相手ではなく自分がした行為に目を向けさせます。
私刑がいかにダメな行為であるか、そこを理解することがまず前提です。

 

2.指導後のケア
ただ上記のような指導をしても、子供の中では
「危害を加えられた自分が泣き寝入りするのはいや!だから相手にも危害を加えたい!」
という子供心を持っています。
そこで重要なのはそのケアです。
具体的には、じゃあ同じような状況になった時どうすべきだったか?
を子供と一緒に考えることです。
そのケア方法は状況や子供の特性により様々ですが、例えば怒りに支配される子供だったらSSTなどのメンタルトレーニングを、大人しくて優しい落ち着いた子供なら「状況を分かりやすく説明する」技術的な指導を行います。
こればかりは、子供によって変わってくるので、指導する側の力量が問われる部分になります。
なので、私のような子供を指導する側の人間は普段から子供を見て、幅広い子供に合わせて指導する技術が必要であり、常に勉強しないといけないというわけですね 笑
日々論文などを見ているとまだまだ世の中には私の知らない情報がたくさんあるので、まだまだ勉強不足ということがわかります 笑

以上で本投稿はおわります。
子供を指導するすべてのみなさんの一助になれば幸いです。
ここまで閲覧ありがとうございました。

 

参考文献:
学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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